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 高校野球の強豪、開星(松江市)で春夏通算3回の甲子園出場を果たし、「山陰のジャイアン」の名で愛された元プロ野球選手の白根尚貴さん(29)が、広島県福山市の少年野球チームを指導している。プロ入り直後からたび重なるけがに見舞われ、女手一つで育ててくれた母親が急逝するなど数々の苦難を乗り越えてきた。「苦
真剣な表情で子どもたちを指導する元プロ野球選手の白根尚貴さん=広島県福山市で2022年10月30日午前9時41分、目野創撮影
真剣な表情で子どもたちを指導する元プロ野球選手の白根尚貴さん=広島県福山市で2022年10月30日午前9時41分、目野創撮影

 高校野球の強豪、開星(松江市)で春夏通算3回の甲子園出場を果たし、「山陰のジャイアン」の名で愛された元プロ野球選手の白根尚貴さん(29)が、広島県福山市の少年野球チームを指導している。プロ入り直後からたび重なるけがに見舞われ、女手一つで育ててくれた母親が急逝するなど数々の苦難を乗り越えてきた。「苦労や経験を子どもたちに伝え、教える側としてレベルアップしていきたい」と力を込める。

 「バット、振れるようになったじゃん」。10月下旬、福山市内のグラウンドには、球児に明るく声をかける白根さんの姿があった。総監督を務める「福山ウエスト野球クラブ」は2021年8月創設の少年野球チーム。栄養士による細かな食育指導を取り入れ、勝利よりも子どもたちの育成に重点を置き、のびのびと野球を楽しめる環境作りを心がけている。

白根尚貴さん=広島県福山市で2022年10月30日午後1時42分、目野創撮影
白根尚貴さん=広島県福山市で2022年10月30日午後1時42分、目野創撮影

 白根さんは結成時から関わり、選手5人でスタートしたチームは約1年で小中学生合わせて45人に急成長した。福田明男代表(46)は白根さんについて「けがへの対応や細かな技術など元プロの経験を生かして専門的な指導をしてくれる。チームにとってなくてはならない存在」と信頼を寄せる。

 小学1年で野球を始めた白根さんは、6年の時に両親が離婚して以降、母みゆきさんと母一人子一人で暮らしてきた。09年、地元の開星に入学すると、1年の春からベンチ入りを果たす。その年の秋には最速147キロを記録し、1年生エースとして注目を浴びた。

 186センチ、100キロ超の大きな体と、走者を背負っても強気の投球を貫く姿から、「山陰のジャイアン」と呼ばれるように。「態度もデカく見えたのかな。世間に覚えてもらえるなら、それでいいと思っていました」と笑う。

ソフトバンク入団も、故障に苦しみ

2011年、ソフトバンク入団に合意。球団スカウト担当者と握手する白根尚貴さん(中央)と母みゆきさん(左)=松江市末次本町で2011年11月21日午後5時42分、宮川佐知子撮影
2011年、ソフトバンク入団に合意。球団スカウト担当者と握手する白根尚貴さん(中央)と母みゆきさん(左)=松江市末次本町で2011年11月21日午後5時42分、宮川佐知子撮影

 投打でチームを引っ張り、高校通算本塁打は40本。11年、プロ野球ソフトバンクから内野手でドラフト4位指名を受けた。だが入団直後から試練に見舞われる。高校時代から痛みを我慢して投げていた右肘の靱帯(じんたい)は限界に来ていた。入団1年目の12年、靱帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)を受け、約1年間、苦しいリハビリを続けた。野球ができない焦りやストレスもあり体重は激減。みゆきさんは月に1、2回、松江から福岡に駆けつけ、「あんたなら乗り越えられる」と励ましてくれた。白根さんは「母親に活躍する姿を見せる」と心に決めた。

 ようやくリハビリを終えて復帰した白根さんを待っていたのは厳しいプロの現実だった。実績のあるベテランでも夜遅くまでハードな練習に打ち込んでいた。高校時代、肘の痛みもあって「練習は嫌いな方だった」という白根さん。「24時間練習したとしてもかなわないのでは」と危機感を抱き、必死で食らい付いた。「プロは華があるイメージだったが、これほど地道に練習しているとは思わなかった。手袋が血で染まるくらいバットを振った」

 ソフトバンクに在籍した4年間は亜脱臼なども経験し、1軍出場はできなかった。1軍に強いこだわりがあった白根さんはソフトバンクとの育成契約を更新せず、活躍の場を求めて15年、12球団合同トライアウト(入団テスト)に参加し、DeNAに移籍した。「野球人としての自分を作ってくれたソフトバンクには本当に感謝している」と振り返る。

 移籍後、念願の1軍デビューを果たす。17年6月、オリックスとの交流戦に代打で出場し、1軍戦初本塁打を放った。ホームランボールはみゆきさんにプレゼントした。「やっと結果が出せた。とても喜んでくれて親孝行ができた」。

 翌18年4月のシーズン中、悲報が届く。みゆきさんが54歳の若さで亡くなったのだ。最後に会えたのは亡くなる2週間ほど前、いつもと変わらず元気そうに見えた。あまりに突然のことに白根さんは動揺を隠せなかった。松江に戻って葬儀などを済ませ、慌ただしくチームに合流した。プロとしての生き残りがかかった時期で、十分に悼むことができなかったのが心残りだった。

 この年、現役を引退。独立リーグ四国アイランドリーグplus・愛媛マンダリンパイレーツのコーチを2年間務めたのを皮切りに、指導者としての道を歩んでいる。「プロ時代は苦しいことが9割だったが、多くの貴重な経験をさせてもらった」。現在は結婚して福山市内で暮らしている。「これからの人生を天国で見守っていてほしい」と母に思いをはせた。【目野創】

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